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楽曲解説「王孫不帰」その3 - 音楽篇

王孫不帰

第二楽章 - 不帰の魂が奏でるポリフォニー

第二楽章は、「序破急」の「」の特徴を全体を通して持っていると言えるでしょう。「序」と同じく緩徐ではありますが、拍感が生まれることが「破」の特徴です。

冒頭部にLacrimoso con patimento(苦しみを伴って、涙ながらに)とある上に、cantabile misterioso e dolcissimo(甘く、神秘的に歌うように)の指示もあります。

オクターヴの空虚感、対旋律に対して半音でのぶつかり、低音のうごめくような響きによって、帰らぬ人を思う悲しみが表現されています。ピアノが物悲しく奏でられ、第一楽章のヘテロフォニーとは打って変わった、独立したTen.の旋律によって第二楽章は幕を開けます。

王孫不帰譜例6 王孫不帰譜例6
▲譜例5:第二楽章冒頭(上)、練習番号2(下)

ここで注目したいのは、ピアノの始めのE♭(ミ♭)と低音に表れるA(ラ)の音です。第一楽章はEに支配されていましたが、第二楽章はEとAの2音に支配されることになります。

第二楽章では、譜例5(下)にあるTen.のモチーフが、音の高さを変えながら混ざっていく構成が冒頭部の基本構造となっています。譜例6においては、Bas. soli Bar.の順に、いわゆるフーガの手法(ポリフォニー)を取りながら、各声部が同一のテーマを歌い始めます。王孫不帰においてポリフォニーが特徴的に使用されている箇所です。

王孫不帰譜例6
▲譜例6:練習番号2-3

また、別の箇所においてそれぞれのパートにおけるフレーズの最後に現れる音を取り上げてみると、以下のような音になっています。

  • SoliがE(ミ)
  • Ten.がF(ファ)
  • Bar.がE♭(ミ♭)
  • Bas.がG♯とA(ソ♯とラ)

全てのフレーズが、EとAの二つの音に支配されていることがお分かりだと思います。

王孫不帰譜例7
▲譜例7:練習番号6

このフーガが速度を増して行き、「王孫はついに」という詩に集結します(譜例7)。

ここで、三善晃の優れた作曲技法を垣間見ることができます。それは、ヘテロフォニーとポリフォニーを使い分ける事によって、心情や精神世界を描き分けている、ということです。

第一楽章のヘテロフォニーにおいては、音の「乖離」と「収束」が一つのテーマとなっていました。これは、息子を亡くした父母が過ごして来た日々は異なっても(音の乖離)、その悲しみは心の深いところでは共通の認識(音の収束)である、ということを表します。また、一貫して歌われる「きりはたり」の擬音も相まって、全体として【日常】を表すとも言えるでしょう。

それに対し、第二楽章のポリフォニーは、何万人もの行方のわからない太郎冠者達の魂が漂い、その小さなモチーフがどんどん織り重なっていく様を描いており、やがて「王孫」という言葉と、Eの音に集約されていきます。

これら全てが、【非日常】の世界を表していると言えるでしょう。「王孫」という単語が出てくることで、再び謡いの節回しが現れていることから、【非日常】を示す能の世界観と結びついているとも考えられます

このように、それぞれの楽曲の中で【日常】と【非日常】を描き分けつつ、第一楽章と第二楽章の間でヘテロフォニーとポリフォニーを使い分けることで、より大きな対立構造を生んでいるのです。

第二楽章が音量的にもピークを迎えた後、その曲調は徐々に収まり、やがてモチーフがsoliに任されていきます。

第三楽章 - 能楽と西洋音楽の融合

「序破急」の「」にあたるのが第三楽章です。「急」には、「破」で生まれた拍感に加速が生まれます。特に第三楽章の前半には、この特徴が色濃く反映されています。

第三楽章の冒頭部分は、完全に能楽の世界が西洋記譜法の中に落とし込まれた構成となっています。最も能楽の特徴を表しているのは、原詩には存在しない「かけごえ」です。

能楽におけるかけごえとは、能打楽器(小鼓・大鼓・太鼓)の演者が発する声のことを指し、基本的に「ヤ」「ハ」「ヨーイ」の3種からなります。指揮者のいない能楽の舞台で、打楽器の奏者はかけごえにより意思の疎通を図り、舞台上の演者もまたかけごえからサインを受け取っています。

楽曲中においては、「ヨーイ」こそ使われてないものの、「ヤ」「ハ」は複数の声部で使われています。

このかけごえと共に歌われるのは、「山に入り木を樵る翁」「家に居て機織る媼」という言葉です。非日常の中にありながら、何事もなかったかのように日常に打ち込む父母の姿が表されています。

しかし、打ち込んでいる日常が、徐々に非日常に変わっていきます。徐々に速度が増していき、soliによる「きり」とピアノの楔を打つような音を皮切りに、第一楽章を想起させるような自然のモチーフが再び展開されます(譜例8)。ここでも、EとAが音楽を支配しています。

王孫不帰譜例8
▲譜例8:第三楽章練習番号5-6

過ぎ去った情景がフラッシュバックするかのように描かれる中で、木柾と鈴が交互に打ち鳴らされ,再び翁、媼が現れるまで、曲想は昂揚し続けます。

この時には既に「ていとう」や「きりはたり」の音は聞こえません。父母自身が、悲しみを既に胸の内に落とし込んでいるのではないでしょうか。これ以降も、その心情を押し殺そうとする表現が続いて見られます。

曲が最高潮に達したのち、Bas.が「おう」と歌い、途端に静寂が訪れます。もしかすると「王孫」と言いたいのかもしれません。しかし、それを言い切らないということは、既に嘆きに蓋をするという意思が表れていると推測することもできます。

これ以降、「こともなく明けて暮る」と歌われ、第一楽章のはじめを想起させるメリスマを用いたフレーズが、F♯(ファ♯)から鳴らされます。

この箇所の音程に目を向けると、Bas.にはAの音が少しだけでてきますが、Bar.Ten.には現れてこないことが譜例9からも見て取れます。これはAの音が象徴する悲しみを、心の底に眠らせたと捉えることができるでしょう。

王孫不帰譜例9
▲譜例9:練習番号13

その後、再びヘテロフォニーが現れ、「きり」というsoliも戻ってきます。第一楽章、第二楽章で現れた「住の江の」という言葉もまた、再び登場します。

ここで、全声部が同じ音を歌う箇所を第一楽章から洗い出してみます。第一楽章の「かげろう(冒頭)」と「住の江の(クライマックス)」、第二楽章の「王孫はついに」、そして第三楽章のこの場面、「住の江の」です。それぞれのユニゾンの音を確認するとE、A、E、そしてH(シ)から始まります。

古今の西洋の機能和声において、Eがトニック、Aがサブドミナント、Hがドミナントと考えると合点がいきます。これらの音が西洋音楽において調性を支配する音であるため、この作品の主題が当てられていると考えられます。能楽の世界観と西洋音楽との見事な融合が現れています。

第三楽章に戻りましょう。「浦囘を想へ」「後の人 耳をかせ」この二文は命令系であることから、詩の持つ明確な主張と捉えることができます。この箇所はどのように作曲されているのでしょうか。

「きりはたり」が鳴り響く中、Ten. Bas.がフォルテ3つで「浦囘を想へ」と歌った後、Bar.が「後の人」とEで歌います。全ての楽章がEの音に縛られているというのは前述した通りです。この箇所は作中でも珍しくオクターブの音が与えられていることから、陽炎のゆれる様、帰らぬ王孫、年をとった父母など、この曲のモチーフ全てが含まれているEの音だと言えます。

「耳をかせ」という詩は、第二楽章を想起させるようにTen. Bar. Bas.が順にポリフォニックに歌い上げます。あえて第二楽章のモチーフを使っていることから、この「耳をかせ」という言葉の主体が父母ではなく、太郎冠者達にあると言うことができるでしょう。現代に生きる私達への死者から警告、という構図が現れています。

そして、この曲を支配するE、「こともなく」に現れたF♯、「住の江の」の斉唱で歌われたHの音で曲が終結していきます。何事もなかったかのように在り続ける住の江の松が、もやは人々に忘れ去られてしまったかのような虚無感の中、曲が終止していくのです。

王孫不帰

現代の日本を生きる多くの世代にとって、戦争は既に非日常の象徴と成りつつあります。そんな中でこの「王孫不帰」は、日本のみならず世界に強く訴えかけるエネルギーを持っています。あくまで必要なことは過去ではなく未来を見つめる事ですが、過去を省みることを忘れている私たちに強く釘を打つ作品です。

特に、私たち学生のような若い世代には、この作品の持つ息子を思う気持ちは理解しがたいものかもしれません(私自身、親との共有によって見えてきたものがありました)。だからこそ、この記事が少しでも皆様の理解のお役に立てれば幸いです

戦後30年足らずに作曲された「王孫不帰」は、今なお私たちに訴えかけています。この日本の男声合唱史に残る名曲に、私たちヴォーチェス・ヴェリタスは挑みます。一人でも多くの方にお聞きいただけることを願っています。

参考文献
THE能ドットコム(外部リンク)
法政大学アリオンコールWebサイト(外部リンク)
全音楽譜出版社「若い世代に手渡す手紙」三善晃

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文責:松本涼