楽曲解説「王孫不帰」その2 - 言葉篇
楽曲解説のコーナーは、VV5thの演奏曲目を知ってもらい、当日の演奏をより楽しんでもらうための企画です!
今回は三善晃作曲の「王孫不帰」を取り扱います。前回の記事において、楽曲の基本的な構造を扱い、また詩の表す内容を意訳という形でとることで、王孫不帰が描く「日常の中の死」について触れることができました。
今後、「言葉篇」「音楽篇」の二つに記事を分け、三好達治と三善晃が描いた作品に、より深く切り込んでいきたいと思います。今回は「言葉篇」と題し、「王孫不帰」という「詩」がどのような作品であるかについて迫ってみたいと思います。
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原詩(全文)を読む
「王孫不帰」という詩がどのようなものであるか、まずは改めて読み直してみることから始めてみたいと思います。
なお、三好達治の死後50年が経過したため、彼の作品は著作権が消失し、自由に公開することが可能となりました。本記事では、「王孫不帰」の全文を掲載し、理解を深める手助けをしたいと考えております。
王孫不歸
- 王孫遊兮不歸 春草生兮萋萋
- かげろふもゆる砂の上に
- 草履がぬいであつたとさ
- 海は日ごとに青けれど
- 家出息子の影もなし
- 國は滅びて山河の存する如く
- 父母は在して待てど
- 住の江の 住の江の
- 太郎冠者こそ本意なけれ
- 鷗は愁ひ
- 鳶は啼き
- 若菜は萌ゆれ春ごとに
- うら若草は野に萌ゆれ
- 王孫は
- つひに帰らず
- 山に入り木を樵る翁
- 家に居て機織る媼
- こともなく明けて暮る
- 古への住の江の
- 浦囘を
- 想へ
- 後の人
- 耳をかせ
- 丁東 丁東
- 東東
- きりはたり きりはたり
- きりはたり はたり ちやう
なお、この詩がどのような意味を持っているかは、以前の記事で扱わせていただきました。ぜひそちらもご一読ください
言葉の意味
ここからは、詩の中で用いられているモチーフや引用、分かりにくい言葉について解説していきます。
王孫遊兮不歸 春草生兮萋萋
中国戦国時代の詩集『楚辞』の「招隠士」の巻から引用された一文です。"遊"の字は遊びに行くことではなく、離れた場所に行ったり旅に出ることを表しています。
原文は文字通り、王族の子孫が死んでしまい帰らず、草木が生い茂るさまを示しています。後世の漢詩で広くそのモチーフを使用されており、一般に帰らない人を思う詩などにみることが出来ます。
國は滅びて山河の存する如く
教科書などにも取り上げられている有名な漢詩、杜甫の『春望』の冒頭「国破れて山河在り」を踏まえています。以降の部分にも大きく関わる内容のため、書き下し文と意訳を以下に掲載します。
春望 杜甫
- 國破れて 山河在り
- 城春にして 草木深し
- 戦乱によって長安の都は破壊されてしまったが、山や河川などの自然は依然として変わらず、
- 町には春が訪れ草木が青々と生い茂っている。
- 時に感じて 花にも涙を濺ぎ
- 別れを恨んで 鳥にも心を驚かす
- 戦乱の時世に思いを寄せてしまい、花を見ても涙が落ち
- 家族との別れを嘆き悲しんで鳥の鳴き声を聞くだけで心を傷めてしまう
- 峰火 三月に連なり
- 家書 萬金に抵る
- 数か月たっても山から上がる狼煙火は消えることなく
- 貴重な家族からの手紙は値千金と思えるほどである
- 白頭掻いて 更に短かし
- 渾べて簪に 勝えざらんと欲す
- 心労のために白髪になってしまった頭を掻き毟れば髪の毛が抜け落ち
- かんざしを挿すことも全くできない。
住の江の
古今和歌集などに「住の江の松」と「待つ」を掛詞として用いる句が散見されます。「住の江」とは、一般に現在の大阪住吉区近辺を指す地名です。
住の江の松については能『高砂(高砂)』でも用いられており、雌雄があり長寿である松をモチーフに夫婦愛及び今後の長い人生を祝福する作品です。これは結婚式で演じられることもあります。
また、『土佐日記』では住吉の辺りを通る際に二首の歌が詠まれています。特に後者は子供を亡くしてしまった母親の歌であるため、王孫不帰における直接的な引用元はこれらの作品であると思われます。
- 今見てぞ 身をば知りぬる 住の江の 松より先に われは経にけり
- 今見て初めて自分の身を知った。有名な住の江の老いた松より先に、私は老いてしまっていたのだ。
- 住の江に 船さし寄せよ 忘れ草 しるしありやと 摘みて行くべく
- 住の江に船を寄せて欲しい。我が子のことを忘れさせてくれるほど効き目があるかと、忘れ草を摘んでいきたいから。
太郎冠者
能と同時期に発展した狂言における、主人公を指す言葉です。冠者というのは、元々成人した男子を指す言葉です。しかし、ここでは一旦辞書的意味から離れて、三好達治の名詩のひとつである「雪」を見てみたいと思います。
雪 三好達治
- 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
- 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
読んだことのある方も多いかもしれません。ここで問題にしたいのは「太郎」「次郎」とは誰かと言うことです。この詩の中の「太郎」「次郎」は特定の誰かを指す言葉でしょうか。達治自身、あるいは親戚の子供等を描写したものだと考えると、多くの人が違和感を覚えるかと思います。
言葉にしてしまうと野暮ですが、この詩における「太郎」「次郎」の語は、一般的な名前を用いることで、読者に雪の日の夜の原体験を思い起こさせる効果を上げていると言えるでしょう。三郎、四郎がその後に続くことを暗示し、全ての子供達が降り積もる雪の下で眠っているというロマン的な光景を、僅か二行の詩で表現しています。
言わば「太郎」「次郎」は、実際の人間一人一人から離れ、抽象化された子供達を指している語であると捉えることができます。
王孫不帰に戻りましょう。先の大戦で日本の多くの若者が亡くなり、「父母」は「太郎冠者」の帰りを待つ内に「翁(おきな)」「媼(おうな)」になってしまった、と語られています。やはりこれらの語句も特定の人物を指すものではなく、あくまで抽象化された存在であると考えられます。
三好達治は、反戦詩などでよく見られる個人的な戦争体験の記録等に留まることなく、抽象化して共感性を高めた上で日本の原風景と合わせて描写することで、芸術性の高い抒情詩としてこの詩を世に送り出したのです。
若菜
いわゆる「春の七草」のことを表しています。七草粥などは多くの方がご存知でしょう。若菜摘みは古今集の時代から重要な行事であり、新春の精気に満ちた菜を食べて、その年の無病息災を祈るというものでした。
浦囘
海岸の湾曲した所、入江などを指す語です。楽曲中では「うらわ」と読まれていますが、それとは別に「うらみ」と言った読み方も良く和歌などで用いられています。
きりはたり、ちやう
三善晃は楽譜の序文で "「木を樵る翁」の斧の音〈ちゃう〉と、「機織る媼」の機の音〈きりはたり〉を、表意音として用いた"
と述べています。
本来は「きりはたりちやう」で機織り(はたおり)の音を表しているのですが、改定前の出版譜に掲載されている解説によると"はたり、ちょう、という詩句を、詩の中での由来よりも私の情感に近づけながら扱った”
とあり、実際に楽曲中できり、はたり、ちやうは独立した役割を持って歌われています。
古来より機織りは神聖視されており、日本書紀を始め多くの民話、伝承にその神秘性が記されています。能「呉服」でも織物の縁起が歌われており、これによると天皇に捧げる御衣を織ることは、今上の御代のめでたさ、その時代そのものを織ることであり、「きりはたりちやう」は機織りに伴う聖なる声であると語られます。
詩中では、機織りの音が戦争からの時間の経過、年老いてしまった父母の悲嘆を表しており、楽曲中でも第三楽章の終盤できりはたり、きりはたり、と一定の間隔でリズムを刻むように歌われる部分が存在します。
丁東
丁東は「ていとう」と読み、風鈴などの物を打つ音を表します。これも楽譜序文に”「丁」には若い男の意味もある。「東」の字は「木」の向こうに昇ってくる「日」が見える様を表している。それらすべての含意が、詩人の発想に関わっていたのではないか。”
との解説があります。