楽曲解説"Missa adventus et quadragesimae" - 解釈篇
各曲の解説
「解釈編」では、"Missa adventus et quadragesimae"を構成する各曲を、主に音楽と歌詞との関係という観点から解説します。
Kyrie (憐みの讃歌)
キリエはミサの「入祭の儀」において唱えられる祈りです。
- Kyrie eleison.
- 主よ、憐みたまえ。
- Christe eleison.
- キリストよ、憐みたまえ。
- Kyrie eleison.
- 主よ、憐みたまえ。
ミサ曲のテキストはラテン語で書かれていますが、キリエは東方教会という宗派に起源があり、例外的にギリシア語による祈りとなっています。キリストに憐みを乞い、その憐み深さを讃美する祈りです。
この祈祷文自体3節から成りますが、伝統的に各文がそれぞれさらに3回ずつ唱えられます。3という数字は三位一体を連想させるので、カトリックにおいてはしばしば象徴的に用いられます。ミサでは司祭が先導して祈りを唱え、信徒らがそれを復唱するという形を取りますが、その様式は東方教会に起源があるとされています。
エベンの曲はパイプオルガンの足鍵盤が低いD音を鳴らして始まり、合唱がcon affezione(愛情を込めて、優しく)に、優美な旋律に乗せて「主よ、憐みたまえ」と3回に渡って主の憐みへの讃美を歌い上げます。
"Christe eleison(キリストよ、憐みたまえ)"からはテンポが速くなり、オルガンがD音とE音の不協和音程を通時的に鳴らし続け、徐々にstringendo(だんだん強くしながら速く)しながら音楽は切迫してゆきます。しかし3回目はlargamente(幅広く、緩やか)に歌われ、オルガンの間奏を挟んで、音楽は再び落ち着いてゆきます。
そして"Kyrie eleison(主よ、憐みたまえ)"が再び繰り返されますが、ピアノとフォルテの対比の中で冒頭とは異なる切実さが表現され、最後は"eleison (憐みたまえ)"という言葉が長いメリスマ2によって繰り返されます。
力強い祈りと共に音楽はニ長調の主和音で終止しますが、これは西洋伝統音楽におけるピカルディ終止を彷彿とさせる終わり方です。ピカルディ終止とは、短調の楽曲が同主調の主和音である長三和音で終止することであり、音がよく反響する教会において、和音に含まれる倍音を豊かに響かせる狙いがあります。
Credo (信仰告白)
基礎篇で述べた通り、「待降節と四旬節のミサ曲」においては「グローリア」が省かれるので、「キリエ」の次は「クレド」になります。「クレド」は「ニカイア・コンスタンティノープル信条」と呼ばれる、キリスト教における2回目の公会議3で定められた典礼文による信仰告白で、ミサでは「ことばの典礼」において歌われます。
長大なテキストゆえ、この作品においてもこの「クレド」が最も長大であり、ミサ曲のひとつの中心を成しています。そのテキストの長さゆえにしばしば作曲が省略されることもあり、「クレド」が省略されたミサ曲はミサ・ブレヴィス(小ミサ曲)と呼ばれます。
ゆったりとした「キリエ」から打って変わって、非常に速いテンポでこの「クレド」は始まります。
- Credo in unum Deum,
- 我は信ず、唯一の神、
- Patrem omnipotentem,
- 全能の父、
- factorem coeli et terrae, visibilium omunium et invisibilium.
- 天と地と、見えるもの、見えないもの、すべてのものの創り主を。
- Et in unum Dominum Jesum Christum,
- また、唯一の主なるイエスキリスト、
- Filium Dei unigenitum, et ex Patre natum ante omnia saecula.
- 神のひとり子、すべてに先立って父より生まれた方を。
オルガンの階段状の音型に導かれ、「我は信ず」と力強く歌い始める合唱はメロディアスではなく、歌というよりは語りかけのように聞こえます。
"Et in unum Dominum"以下、 et (そして)で始まる節には"Credo"(〜を信ず)が省略されています。
- Deum de Deo, lumen de lumine, Deum verum de Deo vero,
- 神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
オルガンの間奏を挟んで音楽は転調し、テンポもModeratoに落ち着いて、ソロが跳躍の激しいメロディーを朗々と歌い上げます。
- Genitum, non factum, consubstantialem Patri:
- 造られることなく生まれ、父と一体であり、
- per quem omnia facta sunt.
- その方によって万物が作られた。
- Qui propter nos homines, et propter nostram salutem
- 主は我ら人類のため、そして我らが救いのために、
- descendit de coelis.
- 天より下り、
ソロを追うように合唱が加わり、音楽は一旦落ち着きます。"descendit de coelis(天より下り)"という歌詞の部分でメロディーは逆に上昇しているのが興味深いところです。
- Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine:
- 聖霊によりて、おとめマリアより御体を受け、
2分の3拍子でソロによって歌われる特徴的な跳躍下降音型は、キリストが天から下り、マリアより肉体をもって生まれ出たことの神秘を表すようでもあります。
- Et homo factus est.
- 人となりたまえり。
- Crucifixus etiam pro nobis sub Pontio Pilato,
- 我らのためにポンシオ・ピラトのもとで十字架にかけられ、
- passus et sepultus est.
- 苦しみを受け、葬られたまえり。
次いで合唱がフォルテで加わり、厳しい表情でキリストの受難を歌います。ポンシオ・ピラトとは、キリストの処刑を直接命令した人物であるとされています。引き伸ばされた"sepultus(葬られ)"という単語によって、音楽は一旦重苦しく終止します。
しかし、すぐにオルガンが湧き上がるような上昇音型によってキリストの復活を予感させます。
- Et resurrexit tertia die secundum Scripturas.
- 聖書にありしごとく3日目によみがえり、
- Et ascendit in coelum: sedet ad dexteram Patris.
- 天に昇りて、父の右に座したもう。
神の完全さを讃美する1回目のソロと同じメロディーでソロがキリストの復活を告げ、合唱がキリストの昇天を喜びに満ちた声で歌い、オルガンがそれを強調します。この部分では"ascendit in coelum(天に昇り)"という歌詞とは逆に、メロディーは下降しています。
そしてオルガンが民族的なメロディーを奏で、音楽は新たな展開を迎えます。
- Et iterum venturus est cum gloria judicare vivos et mortuos,
- そして栄光とともに再び来り、生ける人と死せる人とを裁きたもう。
- cujus regni non erit finis.
- 主の王国は終わることなし。
合唱が力強く主の栄光を讃え、オルガンが奏でる先の民族調のメロディーは加速し、冒頭の階段音型に接続します
- Et in Spiritum Sanctum Dominum et vivificantem:
- 我は信ず、主なる聖霊、命の与え主を。
- qui ex Patre Filioque procedit.
- 聖霊は父と子より出で、
- Qui cum Patre et Filio simul adoratur, et conglorificatur;
- 父と子とともに拝み崇められ、
- qui locutus est per pro phetas.
- 預言者によりて語りたまえり。
冒頭の再現によって聖霊が讃美され、音楽はクライマックスへと向かってゆきます。
- Et unam sanctam catholicam et apostolicam Ecclesiam.
- 我は信ず。唯一の、聖なる、公の、使徒継承の教会を。
- Confiteor unum baptisma, in remissionem peccatorum.
- 罪の赦しをもたらす唯一の洗礼を認め、
「クレド」の中で最も力強く歌われる部分です。これまでになかった、アウフタクト(拍の外)から始まるメロディーが畳みかけるように進んでゆき、やがてひとつのシンプルな祈りへと終着します。
- Et expecto resurrectionem mortuorum.
- 我は待ち望む。死者の復活、
- Et vitam venturi saeculi.
- そして来世の命を。
- Amen.
- アーメン。
先ほど登場した"qui locutus est per Prophetas(預言者によりて語りたまえり)"と同じメロディーで、来世への期待が歌われます。オルガンのA音とE音による五度の完全な響きにより、この長大な楽章は幕を閉じます。
Offertorium (奉献唱)
「オッフェルトリウム」は通常分には含まれない固有文で、パンと葡萄酒が捧げられる際に歌われるものです。もともとはアンティフォナ形式という、2つの聖歌隊が交互に歌い交わす形をとっていました。
オルガンがホ短調の主和音を静かに鳴らし、奉献唱は始まります。
- In spiritu humilitatis et in animo contrito, suscipiamur a te, Domine.
- 深くへりくだり、悔いの心をもって捧げ奉る我らを受け入れたまえ、主よ。
- Et sic fiat sacrificium nostrum, in conspectu tuo hodie, ut placeat tibi, Domine Deus.
- あなたの目の前での我らの犠牲が、今日、主を喜ばせるものとならんことを。神なる主よ。
拍節感の薄い3拍子の中で、合唱は「聖変化」の神秘を思わせる静謐な雰囲気で歌われ、転調しながら徐々に緊張感を高めてゆきます。音楽は"Domine Deus(神なる主よ)"の部分で一瞬ダイナミックに展開しかけますが、すぐに収束し、次の楽章に繋がります。
Sanctus Benedictus (感謝の讃歌)
「サンクトゥス」と「ベネディクトゥス」は「感謝の典礼」の中で歌われる、主への讃美と感謝を表す歌です。「キリエ」と同じく東方教会に起源をもち、「聖なるかな」という言葉が3度唱えられるという点でなどが共通しています。
- Sanctus, Sanctus, Sanctus,
- 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。
- Dominus Deus, Sabaoth.
- 万軍の主たる神よ。
「オッフェルトリウム」の神秘的な雰囲気を引き継ぎ、不思議な和音に支えられて合唱は"Sanctus(聖なるかな), Sanctus, Sanctus"と繰り返し、徐々に喜びに向かって高揚してゆきます。
"Dominus Deus Sabaoth(番軍の主たる神よ)"の部分で歓喜の思いが開放され、オルガンがフォルティッシモでそれを受け継ぎます。
- Pleni sunt coeli et terra Gloria tua.
- 天と地はあなたの栄光に遍く満ち渡る。
- Osanna in excelsis.
- 天のいと高きところにホザンナ。
3拍子のリズミカルな曲調で、このミサ曲において初めて率直な喜びが表現されます。"Osannna(ホザンナ)"とは、イエスがエルサレムに入城した際、民衆が上げた歓喜の声で、ヘブライ語の「ホーシアー」(救え)+「ナ」(お願いします)、すなわち「救い給え」という意味です。しかし「ホザンナ」の叫びは一度落ち着き、次の「ベネディクトゥス」へと移行します。
純粋な和音の連続によるオルガンの優しい前奏から「ベネディクトゥス」は始まります。
- Benedictus qui venit in nomine Domini.
- 誉むべきかな。主の名によりて来る者。
非常に穏やかな、愛情に満ちたメロディーが、絶妙に和声を変化させながら2回歌われます。
- Osannna in excelsis.
- 天のいと高きところにホザンナ。
「サンクトゥス」のリズミカルな「ホザンナ」とは対照的に、ゆったりとしたテンポで朗々と、高らかに歌い上げられます。合唱のフォルティッシモの叫びの後、オルガンが変ニ長調の主和音を鳴らして、曲は厳かな喜びのうちに終止します。
Agnus Dei (平和の讃歌)
「アニュス・デイ」は「交わりの儀」において、聖体拝領に先立って歌われるもので、平和を祈る讃歌です。人類のために犠牲になったキリストを、古代においては子羊が生贄として捧げられていたことから「神の子羊」と呼び、憐みと平和を希います。
- Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
- 神の子羊、世の罪を除きたもう主よ。我らを憐みたまえ。
オルガンが静かにニ短調の主和音を鳴らし、合唱が溜め息のような下降音型で"Agnus Dei(神の子羊)"と呼びかけて曲は始まります。4分の5拍子という複合拍子が挿入され、音楽は陰鬱な雰囲気で沈んでゆきます。
「アニュス・デイ」も「キリエ」、「サンクトゥス」と同様、伝統的に3回ずつ唱えられる祈りです。この曲でも「アニュス・デイ」は3度繰り返され、最後の"qui tollis peccata mundi(世の罪を除きたもう主よ)"では、曲中の最高音であるG♯(ソ♯)が悶えるような悲痛な叫びを表現しています。
- Dona nobis pacem.
- 我らに平和を与えたまえ。
オルガンに導かれ、合唱は呟きのように"Dona nobis pacem(我らに平和を与えたまえ)"と唱え始めます。やがて祈りの声は大きくなり、オルガンの間奏に受け継がれますが、そのメロディーは沈静化し、一瞬途切れたようにも聞こえます。
しかし、オルガンの音の切れ目から合唱が現れ、十字架音型4で急激なクレッシェンドを見せ、"pacem(平和を)"とフォルティッシモで訴えます。
オルガンは「キリエ」のように長調では終止せず、ニ短調の主和音で悲壮感をもって終わります。「血みどろの平和の時代に」を標語のひとつとする当演奏会の第1ステージを締め括るのにこの"pacem"ほど相応しい言葉もないでしょう。
エベンの技法は現代的ですが、この"Missa adventus et quadragesimae"は伝統的なミサ曲の様式に基づいた、厳粛な祈りに満ちた作品です。戦時中をナチスの強制収容所で過ごし、戦後は共産党への参加を拒んで教会に通い続けたエベンによるこのミサ曲は、キリスト教を信じる人のみならず、あらゆる人の心に訴えかけるものであるといえるでしょう。
男声ユニゾンによる力強い呼び掛けに、是非耳を傾けてみてください。
- 参考文献
- 清水一行、海老澤敏編『ラルース世界音楽事典』ベネッセコーポレーション 、1989年
- 大鷹節子著『チェコとスロバキア―歴史と現在』サイマル出版会、1992年
- 今橋朗、竹内謙太郎、越川弘英監修『キリスト教礼拝・礼拝学事典』日本キリスト教団出版局、2006年
- カトリック中央協議会(外部リンク)