楽曲解説"Benedicamus Domino" - 発展篇
構成と特徴
ここでは、"Benedicamus Domino"の曲全体の構成、及びそれぞれの構成要素における特徴などを解説します。
全体の構成
全体は5つの部分に分けられます。それぞれの部分と対応する詩、特徴を表したものが以下の表になります。
構成 | 詩 | 特徴 |
---|---|---|
第1部 | 答唱と詩篇 | 答唱、詩篇部1,2行目を用いたクラスター |
第2部 | 答唱 | オルガヌムの引用 |
第3部 | 詩篇 | 詩篇部3行目を用いた、カノンによるクラスター |
第4部 | 答唱と詩篇 | 答唱、詩篇部4行目を用いたクラスター、展開部分 |
第5部 | 答唱(アレルヤ) | オルガヌムの引用、完全5度による終止 |
曲全体の構成は「答唱詩篇」の形式に基づいています。答唱と詩篇が同時に歌われる部分も多くありますが、基本的には冒頭に答唱が現れ、詩篇が歌われる区切りに再度答唱が配置され、そして最後には答唱とアレルヤで締めくくられる、という構成になっています。
答唱の特徴
第2部、第5部における答唱部分には、オルガヌムが引用されています。これは出版譜の前書きにも説明があります。元になっているのは、スイス中部、アルプス山岳地帯にあるエンゲルベルクという町の修道院に所蔵されているオルガヌムです。
「オルガヌム」とは簡単にいうと、単旋律であるグレゴリオ聖歌にもう一つの旋律(声部)がつけられたものです。中世の時代に発展したものであり、はじめは単旋律に対し、完全5度や4度で並行して動いたり、ずっと同じ音を保続するだけのものでしたが、だんだんと旋律同士が複雑に絡み合うように発展していきました。
この曲におけるオルガヌムはある程度発展したものがモチーフになっていると考えられます。第2部と第5部においてテノール2声、バス2声という組み合わせでカノン(旋律の追い掛け)のように現れる、この曲の中心的な存在です。
オルガヌムではない答唱(第1部、第4部)は、同じ音程を保つ音として現れます。たとえば冒頭では、D音で"Benedicamus Domino"とBass2が先行して歌います。詩篇が歌われる背後に同じ音を繰り返すこの音形は、曲の骨を一本通しているように感じます。
詩篇の特徴
詩篇部分は、音階の積み重ねによりクラスターが生み出される第1部、第4部と、カノンによってクラスターが生み出される第3部があります。
「クラスター」とは、2度でぶつかる音を重ねて作った和音です。和音としてのコード進行などとは異なる音響効果を狙ったものであり、「音塊」や「音群」とも呼ばれます。
たとえば冒頭の第1部では、旋律の音階を積み重ねることでクラスターを生み出しています。D音を中心とするクラスターの音群が、Bass1によって更に広げられていきます。
また、第3部では「カノン」という古典的手法を用いながらも、各声部の絶妙な「ズレ」のタイミングがクラスターを生み出しています。
終止部
最後の第5部では、オルガヌムに内包されて"alleluia(アレルヤ)"が歌われます。"alleluia"が次第に各声部に広がり、旋律が複雑に絡み合って、中世・ルネサンス期に神聖なものとされた完全5度に終止していきます。賛美の言葉"allesuia"があちこちにくり返され、クラスターや旋律の混沌さが完全5度に帰着する様子はまさにクライマックスと言え、劇的に曲を閉じていきます。
これらの特徴から、曲全体を通してクラスターという現代音楽の手法を前面に出しつつ、古来より伝わる中世オルガヌムや答唱詩篇の形式との見事な融合が感じられます。ペンデレツキの魅力がたっぷりと詰まっている作品と言えるでしょう。
ペンデレツキとポーランド音楽
ペンデレツキが生まれ育ち、曲を書いていたポーランド。ドイツ、オーストリア、ロシア(ソ連)の大国3つに囲まれた地域にある国です。その歴史は悲痛なものでした。大国に統治され、地図から国が無くなり、ポーランド語が使えず、民族の存在自体が消されようとした歴史をもっています。
そんな中で、ポーランドの人々は音楽を拠りどころに、愛国心を持ち続けていたのです。
王国の繁栄と滅亡 〜音楽が支えた愛国心
ポーランドという国が誕生したのは中世(9世紀半ば)です。それ以降、特に14世紀末から16世紀にかけての時代はポーランドの黄金期といわれ、周辺の国々も統治して東ヨーロッパの一大王国となりました。
ポーランドに暗黒の運命が襲うのは18世紀半ばです。王政が衰えていたポーランドを周辺諸国が植民地化しようとしていました。それに対し、民衆の必死の抵抗がはじまります。しかしその努力も空しく、1795年にポーランド王国は滅亡、周辺の3大国の分割統治下とされてしまいました。
18世紀から19世紀にかけて、ポーランドの人々は「ポロネーズ」と呼ばれる音楽を最も好みました。「ポロネーズ」とはポーランドの民族舞踊、舞曲のひとつであり、ゆったりとした4分の3拍子が特徴とされています。19世紀に活躍したF. ショパン(ショパンはポーランド出身の作曲家)もポロネーズの作品をたくさん残しています。
ポーランド語の使用が禁じられていた時代に、「ポルスカ」(ポーランド語でのポーランドの国名)をフランス語綴りの「ポロネーズ」としてまで愛好していたことは、ポーランドの人々の愛国心の発露だと言われています。
その後、何度も独立へ向けた蜂起が行われ、20世紀初頭の1918年、ようやくポーランドは共和国として独立を果たし、地図上に復活しました。
二度目の苦難、そして復興へ
しかし、二度目の苦痛がポーランドを襲います。それは1939年から始まるナチス・ドイツによる侵攻と占領、それに対するソ連の侵攻。すなわち、第二次世界大戦です。ポーランドは再び2国間の占領下に置かれることになってしまいました。
ナチス占領下では、ポーランドは徹底的に破壊され民族絶滅の危機にありました。しかし、そんな中でもポーランドの人々は音楽活動を秘密裏に行っていたと言われています。強制収容所の中ですら、命をかけてまで音楽活動をし続けたのです。
特に「合唱」が最大の抵抗の武器でした。強制収容所ではドイツの音楽を歌う「合唱の時間」も定められていましたが、そのドイツの旋律に乗せてポーランドの歌を人々は歌うことさえしていました。彼らは非情な環境で生き抜くために、民族の誇りである「音楽」にすがったのです。
1945年、第二次世界大戦は終結し、ポーランドは再び復活しました。
戦後、音楽の復興はすさまじい早さで行われました。オペラ劇場、演奏会場、音楽小・中学校の建設が急ピッチで進み、1945年の間に「ポーランド作曲家同盟」が結成されています。
1949年から、社会主義リアリズムやスターリン主義といった政治的背景に影響を受け、自由な音楽活動が制限されましたが、1950年代のなか頃からは再び自由な創作活動が広げられています。「ワルシャワの秋」という国際現代音楽祭も開催されるようになり、ポーランドは戦後から一気にヨーロッパ音楽最前線の仲間入りを果たしたのです。
ポーランドの「今」を生きるペンデレツキ
ペンデレツキは、このような背景を持つポーランドに生まれ、その地で音楽を学び作曲家としてデビューしました。彼が勉強した場所はすでに現代音楽の最前線を担うポーランドの音楽院であり、ポーランド音楽のみならず最新のヨーロッパ音楽を学ぶことができる環境でもありました。作曲家としてデビューして以来、彼は現代音楽の一翼を担い、今尚ヨーロッパ音楽の新たな可能性を発展させ続けています。
しかし、彼の目はただ「音楽の発展」にだけ向いていたわけではありません。ポーランド民族の歴史には確かに悲痛な経験が刻まれており、彼自身にも第2次世界大戦の記憶が刻まれています。それらは、少なからず彼の音楽に現れています。
そのひとつが「クラスター」です。彼はクラスターに微分音(半音のさらに半分の音程の音)にを用いて、壮大なクラスターを生み出しています。
そのクラスターが用いられた作品の中で、日本にゆかりのある楽曲として「広島の犠牲者に捧げる哀歌」が挙げられます。彼は、このタイトルを付けるにあたって、「アウシュヴィッツ(強制収容所のひとつ)でもよかった。ただ遠くの人々のほうを思って付けた。」と述べています。彼のクラスターは悲痛な響きにも思えてきます。
"Benedicamus Domino"では、微分音や半音を重ねたクラスターはありません。しかし、前面に押し出されたクラスターから、中世オルガヌムの祈りに包まれ、最後にそのオルガヌムに内包されて"alleluia(アレルヤ)"と歌う様は、自由を得た喜びとともに、平和を求める叫びにも聞こえてこないでしょうか。
- 参考文献
- 田村進『増補改訂 ポーランド音楽史』雄山閣出版、1991年
- 岩波版旧約聖書翻訳委員会、松田伊作訳『〈旧約聖書XI〉詩篇』岩波書店、1998年
- ステファン・シレジンスキ、ルドヴィク・エルハルト編/阿部緋沙子、小原雅彦、鈴木静哉訳『ポーランド音楽の歴史』音楽之友社、1998年
- 鍋谷堯爾『詩篇を味わうIII 90-150篇』いのちのことば社、2007年
- 田村進「20世紀のポーランド音楽界ー一切の抑圧に反抗するイデオロギー的表現としてのアヴァンギャルド」『音楽の友』65号、音楽之友社、2007年
- 阿部緋沙子「ポーランド音楽小史 13世紀の賛美歌からルトスワフスキ、ペンデレツキまで」『音楽の友』65号、音楽之友社、2007年
- 下田幸二「ポーランド音楽家列伝 ショパン以前の作曲家から現代における演奏家まで」『音楽の友』65号、音楽之友社、2007年
- ジャン=イヴ・ポスール著/栗原詩子訳『現代音楽を読み解く88のキーワード 12音技法からミクスト作品まで』音楽之友社、2008年
- デイヴィッド・コープ著/石田一志、三橋圭介、瀬尾史穂訳『現代音楽キーワード事典』春秋社、2011年